私が転職活動を本気でやった理由Ⅰ ~きっかけ~

マイオピニオン

私は2023年の夏に本気で転職活動をしました。
結果で言うと、転職は思い留まり、現職を続けるという判断をしました。
ただ、3社から内定をもらい、会社の人事部とも話をしていました。

新入社員のときは希望を抱き、やってやるぞ!という高いモチベーションをもって
この会社に骨を埋めてやるという意気込みでいました。

実は自分ではそんなやる気があったことはすっかり忘れていて、
転職活動の許可を妻からもらうときに、昔はそんなこと言ってたよwと言われて思い出しました。
少々恥ずかしくなったのを覚えています。
入社から7,8年はいくつかの部署を経験して、楽しい感覚で働けていたと思います。

転機はコロナで在宅勤務を強いられたときでした。
それまでは、自分の働きぶりを示すためにも毎日朝一番に出社して、
上長ともコミュニケーションを密に取って仕事を進めていました。
直属の上長だけでなく、二次上司や三次上司も近くにいるので、
私の働きぶりが伝わっていました。
実際に仕事の成果も出ていたし、評価ももらえていました。

しかし、コロナによってその仕事のやり方が完全にできなくなりました。
周りが何をしているかもわからないし、自分がやっていることを伝えに行かないと伝わらない。
かなり戸惑ったのを覚えています。
次第に、三次以上の上司(決裁者)との距離が遠くなり、それまでの感覚で
わかってくれているだろうと思って報告に行くと突き返されるということが増えました。
その悶々とした気持ちは解消されることなく、2,3年が経ったとき、
自分でもトラウマになっていることが起きました。

出社が解禁されて、海外にも渡航できる雰囲気になっていたため、
久しぶりの海外出張を計画していました。
そして、計画書を持って当時の決裁者である三次上司を訪れたとき、それが起きました。

まず計画書の説明をしているときから、何の反応もなく、気に食わない雰囲気を感じていました。
それで突き返されるだけならよかったのですが、あろうことか睨みつけられ、第一声大きな声で
「こんなもんでいいと思ってんのか」と一蹴されました。

私がショックだったのは、コンプラ意識が高く、普段は温厚で諭すような言い方をしてくる方が、
周囲に人がいる中で激高されたことでした。
私が普段怒られ慣れしていないから強く感じたのかもしれないと思っていましたが、
全然違う部署の方から、私がめちゃくちゃ怒られていたという噂がまわっていると聞きました。
計画書の内容も他部署の三次上司相当の方に確認し、よくまとまっている評価されていたものでした。

働き方に悩み、悶々としている中で、そのような経験をしたことから、
働くことがだんだんと怖くなっていました。

なぜこれほどまでに否定をされるのか?
人間性まで否定されたわけではなく、激高されたのもその一回きりで、
それ以降はそれまで通り、温厚な雰囲気に変わっていましたが、
この疑問は拭えなかったです。

それからもしばらくは、見返してやる!という気持ちで仕事をしていました。
そしてちょうど1年後に、社内表彰の発表会で私がプレゼンテーションしたとき、
その三次上司から褒めていただくことができました。
ただ、たとえ褒められても本心は違うんだろうなと疑って捉えるようになっていました。
もう私自身がその人のことを信頼できなくなっていた
のです。

そう感じてからは、仕事が楽しくなくなり、なんで働いているのかもわからない状態で、
さらに悶々とした気持ちが大きくなっていました。

これはもう自分が大きく変わらないとこの気持ちは一生晴れないと思いました。
ただ、そこから何をしていいかわからなかった私は、まず本屋さんに行きました。
何となくでしたが、本屋さんに行けば何かヒントがあると思っていました。
実際にそこで、八木仁平さんの『やりたいことの見つけ方』を手に取り、
自分を見つめ直すきっかけと出会いました。

(今思えば、マズローの欲求階層説の「承認欲求」を求めて働いていたのだと思いますが、
このころから自分の欲求がレベルアップして「自己実現」を求めていたことに気づくのは
もう少し先です。)
こうして実際に転職活動を始めることになりますが、続きは別のページで書きます。

タイトルとURLをコピーしました